2006年 6月25日  しばらく 留守にします

 ここ3、4日、久々の猛勉強をした。昨日など朝から晩までずっと机に向かっていた。頭がパンクしそうだ。もう錆び付いてしまってスムースにまわらないのだから。

 何の勉強かというと・・・、今日は調理師の試験を受けたのだ。受ける資格があるし、とっておいた方がよかろうと、やっと重い腰をあげた。何事も間際にならないとお尻に火がつかない私は、一夜漬けならぬ、1週間漬けくらいで本番になってしまった。あまり早くから詰め込んだら、当日までに忘れてしまう。

 30年前、夫は連日のマージャンのあと、この試験を受けて合格したらしい。そんなもんか、と思っていたら大慌て、昔、家庭科や生物で習ったことのあるような用語を、またあらためて覚えなおしたり、ややこしい法規を覚えたり。老化した頭に無理やり詰め込みたいのに、記憶にとどまらなくて焦った。30年前と違って試験問題は難しいと夫は言っているが。

 結果は・・・、ちょっと自信ないなあ。自己採点する元気も出ないので保留にしておく。

 明日から大連だ。ホームステイして二胡を習う。こんなに早く夢が叶うとは思ってもみなかった。きっかけって逃してはいけないんだなと思った。コミュニケーションできるか心配だが、私の中国語の先生の小明が一緒だからきっと大丈夫。

 さてどうなることやら、おたのしみ。6月30日に帰ってきます。


 2006年 7月 16日  大連滞在日記

 「中国はどうだった?」と皆に聞かれるが、開口一番「疲れたー」。

 憧れのホームステイは思った以上にしんどかった。けれども、旅行では得られない経験ができた。言葉の壁は厚い。コミュニケーションできないので、相手に自分の言いたいこと、して欲しいことが伝わらない。言いたいことを、記憶にある中国語を頭の中で組み立ててしゃべってみるが、これが疲れるし、時間がかかる。要するにレベルが低いのだ。中国語の発音は難しいが、漢字の国、筆談で何とか通じるだろうと思ったのが甘かった。書いてくれた単語にピンインもつけてもらう、持参の電子辞書で引く、やっとわかるが、もどかしい。ラジオやテレビで聞く中国語口座と、現場の会話は全然違う。早口だし、訛りもあったりして、2回聞いても頭の上にハテナが3つくらいついて首を傾げる。3回聞いて、やっと、「ああ、あのこと言ってるのか」と閃く。なおかつ解らないときは「ティンブドン(わかりません)」と首を横に振ってニコッとする。


 6月26日、広島空港から14時30分に飛び立つことになっていた。私は初めて一人で運転して空港まで行かなくてはならない。3時間みていたらだいじょうぶとアドバイスを受けて、8時20分に家を出る。この頃、すぐいねむり運転してしまうので、途中2回ぐらい休憩時間もいれる。前日の試験で頭が疲れきっている。が、いつにない緊張は眠気など誘いはしない。1度サービスエリアでゆっくり休憩して、もう大丈夫、余裕で空港まで行けると確信してルンルンではしらせると、目の前に突然「本郷出口」の標識が現れた。「あっ」と声を発したとたん、後ろに飛んでいってしまった。「あーあ、緩めるとこういうことになるんだ」出口分岐から10メートルくらい過ぎたところで路肩に停めた。次のインターまで行くの面倒だからスキを見てバックしてやろう。田舎の高速道路、10分ぐらいまつと車が途切れたので、シメタとばかりに実行した。高速を降りて一般道に入る。山の中の道路を案内にしたがって行くとすぐに着いた。休まずとばしたら2時間で着くだろう。案外近い、けれども費用がかかる。高速料金7150円也。

 1日500円のパーキングに車を預けて空港へ。余裕をみすぎて時間を持て余しそう。ところが、持て余すどころか・・・。霧で視界が悪く、私が乗るはずの飛行機は北京から広島まで来たのに着陸できず、一旦関空まで行ったとアナウンス。天候が少し回復したので戻ってきてくれて、やっと飛べたのが17時20分。飛行機は予定より5時間遅れ、私は結局8時間も空港にいたのだ。広島ではよくこのようなことがあるらしい。視界が悪くても着陸できるシステムを開発中とか。こんなわけで、日本を発つ前に疲れきってしまった。


 私は税関でやらなければいけないことがあった。二胡を持ち出したものの、再入国した時、没収されたら大変。「修理の為、持ち出します」と証明書を書いてもらい、写真までとられた。こんなだと、ボロの楽器を中国に持っていって、いいのと掏りかえるという工作も難しいなあ。写真をみれば蛇皮の模様の違いが人目でわかる。

  大連までは2時間だ。時計を1時間戻して現地時間で20時20分に大連空港に着いた。小明と友人が迎えに来てくれていた。やれやれひとまず安心。外に出て、タクシーの運転手とこちらの2人との言い争いになった。料金の交渉らしかった。中国人らしい光景だ。折り合いがついて、車に乗り込み、周先生の家へ。1時間ぐらいはしって先生のお宅に着いた。途中運転手も家がよくわからないらしく、何度か先生に電話で聞いていた。私が「迎えはいらない。自分でタクシーで行く」と言った時、小明が「田舎だから、タクシーも家が分からないだろう」と答えたわけが分かった。料金は80元ぐらいだった。前回旅行したときの残りが670元あったので、当座は間に合うだろう。タクシー代として小明に100元札を受け取ってもらった。やはり日本より断然、物価が安い。

 先生は周雪梅、ヂョウシュエメイという。さばさばした気さくな方だ。明るく元気がよさそう。お年は45歳。ご主人は王徳宝とおっしゃる。背が高く、若く見える。一人息子は王剣飛、高校生で、寄宿生活をして音楽の勉強をしている。今回会ってはいない。そして隣に先生のお父さんとお母さんが住んでいる。ご主人はこの日だけ家にいて、あとは仕事で留守だった。だから少し気が楽だった。

 小明と友人はすぐに帰ってしまった。小明は街でいろいろ用事があるようだ。先生宅から街まで1時間もかかる。何もない田舎で小明が泊まるはずはない。私は一人ここに滞在することになった。不安・・・。「加油!(頑張って)」小明は帰って行った。

 さて、当然のことながら、テーブルにご馳走が並ぶ。機内で軽食を食べているし、もう時間も遅い。どんな料理を目の前にしても食欲はわかない。どんどん注ぎ足される室温のビール、先生が取りざらに次々と料理を取り分けてくれる。うまく断る言葉を私は知らない。とりあえず、「好吃」と言ってしまうので、食事は終わらない。メニューは、鴨の照り焼き(北京ダックのような)、豚足、ブロッコリーの炒め物、アイナメ(たぶん)の煮付け、サラダ。魚の煮付けは日本の味付けと少し違う。中国では五香粉を料理によく用いるが魚を煮るときも使うようだ。本来、私は食いしん坊で、何でもたべてみようというタイプだし、外国の食べ物にも結構順応できるのだが、今回は疲れと緊張で胃がもたれ、頭痛にも悩まされ、体調は最悪だった。先生とご主人の心尽くしのお料理を充分堪能できなくて、申し訳なく、残念でもあった。もうこれ以上入らないというところまで詰め込んで、時間が遅いから休みたいと言って、ようやく終わった。
 

 案内された二階の部屋は驚くほど広く、きれいだった。私のところの客室の3倍はありそうだ。広い部屋に大きなベッドとサイドテーブルが置いてある。2階には先生の寝室、仏間、トイレがある。先生の部屋にはダンボールの箱が15個くらいおいてあって、中には蟻がいる。蟻を養殖しているのだ。何でも食べてみたい私だが、昆虫はどうだろうか。2日後、業者がやってきて5箱持って帰った。そして先生は何がしかのお金を受け取っていた。仏間には、祭壇があって、中国の派手な仏様が何体も飾ってある。先生は敬虔な仏教徒だ。毎朝お経を7回唱えるらしい。1階は台所、バス、トイレ、広い居間、隅のテーブルで食事をする。中央は何も置いていないのでダンスでもできそうだ。先生の家には電子レンジ、テレビ、ステレオ、洗濯機なんでもある。掃除機はないようだった。私が二胡を練習していると、モップで床を拭きながら聞いてくれていた。どの部屋もさっぱりとしているのは、日本の家庭によくあるような飾り物、生活に不必要な雑多な物がないからだ。滞在中、私がつかった食器は、深めの鉢、たぶんコーヒー茶碗の受け皿と思われる小皿、グラスくらいだ。余分な物は何もない。自分の周りを思いうかべてみた。なんと要らない物がちらかっていることか。なんという無駄遣い。かつての日本もシンプルな暮らしだったのに。

 ただ一人たよりの小明と連絡がとれるように、認知症がすすんでいる母が気に掛かる、という理由で、今回初めて携帯電話を借りてきた。大連に着いてすぐ小明と試してみて、OK。夜、部屋に落ち着いてから、母のところで泊まってくれている長女に電話してみて、OK。携帯ですぐに話ができるのはとても安心。
  
写真
上左 先生宅、正面から
上中 1階、居間 左が食卓
上右 2階、私が借りた部屋
下左 2階、仏様の部屋
下中 1階で先生が古筝を弾く
下右 二胡を弾く先生

6月27日

 当然朝早くから目が覚めた。ゆうべは夜中まで、ガーガーという重機の音や、トントンカンカンと石を叩くような音がしてうるさかった。翌日窓から外をみてみると、すぐ隣でマンションのようなビルが建ちつつある。トンカンという音は人が石垣をついている音だった。私は眠ってしまったのでわからないが、夜を徹してやっていたのだろうか。民家の傍で夜中まで工事をするのが凄い。たぶん中国全土でそうなのだろうが、建設ラッシュみたいだ。先生の家も近々立ち退くらしい。

 7時に階下に下りていくと先生が待っていて、お母さんが一緒に散歩に行ってくれるという。田舎道を山に向かって歩いていく。お寺に連れて行ってくれるらしい。途中友達何人かに会ってお母さんはおしゃべりをする。「日本から来た・・・」と紹介してくれているのだが、なんと言っているのか私にはわからない。山の麓のお寺に着いた。住職さんのような方が本堂のような建物を開けて、仏像を前に、中国式拝み方を教えてくださった。線香までくださって丁寧に説明をしてくれたのに、私はお金を持っていなかったので、お賽銭をあげることができなかった。恥ずかしかったが、また来る機会はあるだろうと、礼を言って帰った。しかし、その後訪れるチャンスはなかったので、先生の家を引き上げる日に、10元札を渡して、「代わりに行ってください」とお願いして去った。

 散歩から帰ると先生が朝食を用意して待っていてくれた。チャーハンと、海苔と卵のスープだった。ゆうべの食事が痞えていて食欲はなかったが、残さず頑張って平らげた。どうも私が散歩に時間をかけすぎたので、先生は急いでいるようだった。私も慌ただしく出掛ける準備をして、先生とご主人と3人で8時20分に家を出た。先生は楽器を持っていた。今日は先生の稽古場へ連れて行ってくれる。小さなワゴン車のようなバスに乗って30分、ここで一旦降りた。ご主人は仕事に出掛けた。私と先生は別のバスに乗り換えて大連の街まで行った。街まではバスを乗り継いで1時間かかる。当初は、先生に二胡を何時間か見てもらい、自由時間に街で買い物したり、観光したりと空想していたが、どうやら不可能らしい。先生の家の周りにはアンズ畑と山しかない。山は緑豊かな日本の山とはどうも雰囲気が違う。日本の草木の種類の多さ、豊かで変化に満ちた自然、外に出るとあらためて日本の素晴らしさがわかる。美しい自然、遠い昔から積み上げてきた文化、育ってきたふるさと、これらを愛する心が私の愛国心である。

 バスを降りて歩き出した。中山広場を横切って古めかしい立派な建物の中に入っていった。コンサート用のホールらしい。建物の中の広い部屋にに入ると民族楽器のオーケストラが練習していた。

 二胡がバイオリンの役目をしている。今日は12,3人いただろうか。先生は前列の端に座った。コンサートマスターの席だと思うが・・・。前列は高胡のようだった。高胡は二胡とよく似ているが少し小ぶりで高い音がでる。板胡というのもあって蛇皮の部分が木でできている。昨日これらをちょっと弾かせてもらったが板胡はとても弾きにくい。うわずってまともな音がでなかった。先生もおっしゃっていた。3つのうちで一番板胡が難しいと。指揮者の正面に洋琴が2人、オーケストラ向かって右に琵琶、その後ろに何かわからないが琵琶の仲間のような楽器、蛇皮を張っている三味線を大きくしたような楽器、その後ろにコントラバスが5人。菅楽器は洋琴の後ろに5人ぐらいいたかな。横笛、笙のような楽器、チャルメラのような楽器を吹いていた。打楽器は4人。家を出るとき慌ててカメラを置いてきてしまった。こんな珍しい楽器を間近で見る機会にまた恵まれるかどうか、本当に残念だ。胃凭れに続いて頭痛までしてきたので、いつもならあつかましく、好奇心むき出しで、近寄って見せてもらったろうが、この日はずっと隅でおとなしく座っていた。何を怒っているのかと思うほど、

 ここでも指揮者はどなるようにしゃべる。中国人はいつも大声でしゃべる。もの静かな日本人からみると、喧嘩でもしているのかと思う。打楽器奏者は後ろで私語しているし、指揮者がよそのパートをみているとき、他の楽団員は席を立って部屋を出たり入ったりしている。中国の練習風景を面白くみせてもらった。

 練習は12時に終わり、二胡のパートの男性3人と食事に行く。海鮮料理のレストランだ。高級レストランではなさそう、普通のランクだ。店に入ってすぐ、先生がボーイに「あれとこれとこれと・・・」と、見本の食材がのった皿を見ながら、注文をした。先生は私にどれが食べたいか聞いたが、残念ながら私はこれらの食べ物を見ただけで、こみ上げそうになった。やれやれ、これからの何時間かのランチタイムいったいどうなることやら。
 私達は小部屋に通され、5人で丸いテーブルを囲む。まもなく料理が次々と運ばれてきた。エノキと野菜の炒め物が出たとき、皆がなにやら深刻な顔をして話し出した。見ると髪の毛が1本混入している。ボーイとこちらの4人がしゃべっている。しばらくして店長のような男性が出てきて言い合う。皿をかこんで、5人は暫く押し問答をする。ちょっと重苦しい雰囲気。日本なら、店側はあやまってすぐ交換するだろう。やっと話がついて、店長は皿を引いて新しいのが運ばれてきた。で、食事のはじまり。彼らの会話が理解できなくて残念。音楽のことを語っていたのか、政治の話をしていたのか。互いにコミュニケーションできたらどんなに楽しいだろうと思った。黙って座っている私に「さあ、食べろ、食べろ」と勧めてくれるが、無理に押し込めようものなら、帰りの車の中で戻すだろうと思われたので、必死で断る。昨日、飛行機が5時間も遅れ、疲れていたうえ、夕食の時間も遅かったので、今日は食欲がない旨伝えた。長いランチタイムが終わった。テーブルの上にはたくさんの料理が残った。もったいない、どうするんだろう、と思っていたら先生は持ち帰りのパックを貰って全部詰めた。捨てることにならなくてよかった。あとで聞いたことだが、中国人は食べきれないほど料理をだすのだそうな。日本の感覚で全部きれいにたいらげては、料理が足りなかったことになるのでいけないという。もてなす側は客に勧めなくてはいけない、自分はたくさんたべてはいけない、という。中国では一般的に割り勘はしないようだ。お勘定は先生が払った。280元くらいだった。そういえば、先生はあまり食べなかった。

 先生の友人のうちのひとりが車で送ってくれた。だからバスよりずっと楽だった。やっと家に帰れると思うと、安心して、いつの間にか眠ってしまった。家に着くと彼らは車からドリルを持ち出して、バスルームになにやら細工し始めた。棚でもつけるらしい。バスルームにバスタブはない。シャワーだけだ。日本人には我慢できないかもしれない。海外旅行して家に戻ってきて、まずやりたいことは風呂にはいることだ。ホテルの洋式の浅い風呂は苦手だ。我が家の風呂に首まで浸かって始めて日本に帰ってきたと実感する。バスルームに設置されたトイレは和式のようなしゃがむタイプ。水洗だが日本のとは形は違う。ちゃんと流れるかしらんと不安になったが大丈夫だった。トイレの傍には洗濯機が置かれている。仕切りはカーテン。なんだか落ちつかないが、この家には私と先生だけだから良かった。それに2階には洋式トイレがあった。水の流れが少し悪い。とにかく郷に入っては郷に従わなくては。

 「あなたは少し休みなさい」といってくれたので、私はすぐに自分の部屋へ行って昼寝をした。1時間くらい眠っただろうか、薄暗くなっていた。先生が台所で夕食の準備をしている。今日は餃子だ。私は日本で、これまで3度餃子作りを習っている。皮を伸ばすのも、餡をつつむのも自信はある。ホームステイさせてもらっている身としては手伝わなければいけない。台所を見学するチャンスだ。台所ではスリッパを履きかえる。広くて清潔、シンプルで余分な物はない。麺棒で生地を伸ばし始めると「上手」とお褒め戴いた。餃子は中国語で「ヂャオヅ」、日本語の「じょうず」と
似ているので言葉をお教えする。先生、覚えてくれたかな。

 茹で上がったたくさんの餃子、今日は私は冷たいビール、先生は温いビール、2人だけの静かな夕食だ。毎回食事は2人きり、会話はしばしば途切れて沈黙。皮から作った餃子は少しでお腹がいっぱいになる。残った餃子は、次の朝焼き餃子で食べた。

 夜、二胡を教えてもらった。カラオケをバックに私の好きな「牧羊姑娘」を気持ち良く弾いた。

上左 お母さんと友達
上中 お寺
上右 本堂
下左 境内
下右 お寺の外で

6月28日


 今日は先生が小明のところへレッスンに出掛けるので、私もお供する。久々に日本語が話せる。うれしい。

 小明は大連駅の傍、ラマダホテルの隣のビルにこの1ヶ月間部屋を借りて住んでいる。ワンルームマンションといった感じだ。部屋に古筝(琴)が置いてあって小明がレッスンをうける。手持ち無沙汰の私は、小明の二胡を借りて「小花鼓」の練習をする。

 昼過ぎ小明と別れて先生と食堂街へ。たくさんの種類のおかず、スープ、万頭、麺がならべてあって、トレイに好きなのを自分で取る。私は野菜の炒めたもの、手羽元の甘煮、海苔のスープを取った。手羽元は本当に甘かった。砂糖を焦がしたカラメルと醤油で味付けしている。甘いのが苦手な人は食べられないかもしれないが、私はカラメルの香りが美味しいと思った。

 食事が終わって本屋へ連れて行ってくれた。私が考級曲集(二胡検定用の曲集)を買いたいといったからだ。最初の本屋にはなかった。次に行った本屋はとても大きかった。エスカレーターで2階に上がってすぐ見つけてくれた。私が一人で探そうものなら1時間たっても買えなかっただろう。こういった楽譜は楽器店に売っているものと思っているし、店を探したり、本の説明をしたりで時間がたっぷりかかるに違いないからだ。先生のお蔭で買い物はとても早く終わった。

 バスを乗り継いで家に帰り着いた。隣では、お母さん達がまだポーカーをしている。朝出るとき友達が来て4人でやっていた。1日中するのかなあ。中国の年寄りの数少ない娯楽のひとつだろうか。

 先生が突然「水果!」と叫んだ。水果とはくだもののことである。私が、街で果物売りを見つけては、しきりと「買いたい」といったので、先生が、帰りにもっといい店へ連れて行ってくれることになっていた。 明日買えばいい

と思っていたのに、何分か後にはもう買ってくれていた。黄色い、少し大きめのさくらんぼだ。甘くて、歯ごたえ、食べ応えがある。安くて美味しい。アジアは果物がお買い得だ。私はいつも旅行カバンの奥に隠し持って帰る。それにしてもこの付近、どこにそんな店があるのだろう。

 その日の晩御飯は、昨日作った餃子の生地の残り半分で、餃子より大きい饅頭のようなものを作った。餡は今日は牛肉、昨日はえびと豚だったかな。つつみ方を教わり、手伝う。先生に引けを取らない出来栄えだ。蒸しあがって、さあ何個たべられるかなあ。3つ食べてもうお腹がいっぱい、情けないくらい胃袋に入らない。こんなはずじゃあなかったのに。外国旅行で、その国ならではの食べ物をいただくのが旅の一番の楽しみと考える私なのに、今回はどうも調子が悪い。見かけによらず食べない人だと思われたかも。

 その夜も二胡をみてもらった。
中山広場で

6月29日

 今日で先生のお宅を引き上げる。3日間長いような短いような。

 朝から濃霧である。もしも今日発つ予定だったとしたら、また何時間も空港で待たされただろう。そのうち大雨になった。おまけに雷まで。今日は何も予定がないので1日中二胡をひいてもいい。家の外で飼われているネコが、中に入れて欲しそうにニャーニャーと啼く。先生は外に出て行ってネコを物置に導く。この物置がここの動物たちの宿舎らしい。先生のところには動物が何匹か飼われているが、日本でいうペットのようなベタベタした感じではない。よく面倒をみてやっているし、動物たちもとても信頼してなついている。でも家には入れない。

 シェパードのような大型犬の住まいは物置小屋の一番端、ワンワンと太い声で吠えて番犬の役をしている。もう一匹はブルドッグみたいな顔つきの足が短い小型犬、人の足元にじゃれ付いてきて愛嬌をふりまく。すきあらば家の中に入り込もうとする。先生が「バオバール、チー、チー」と叫びながら足で軽く蹴飛ばす。なんともほほえましい二人?である。 ご主人の名前、王徳宝からとったのと聞くとそうだと答えた。このコメディアンのような犬の名前は宝宝という。犬にはドッグフードというものは与えていない。洗面器のような器に何か食べ物を入れて、大きな方の犬に運ぶのを見かけた。外ではネコも2匹飼われている。動物達は自由に暮らしている。

 家の中には金魚がいる。ワキンと呼ばれる種類の金魚だ。幅1メートルの水槽に10センチ前後のが20匹くらいいる。人が近寄ろうものなら、バチャバチャ、チュッチュッと、水槽を這い上がりそうな勢いで餌をねだる。傍においてある餌を少しやった。中国では金魚もたくましいなあ。

 午後からまた二胡をみてもらった。先生は古筝でデュエットをしてくれた。へたくそで申し訳ない。時間がきたので、お父さんお母さんに挨拶をすませ、おいとました。先生の知り合いの運転する軽乗用車に乗り込み、30分くらいはしり、途中のスーパーに寄った。私がお土産をスーパーで買いたいと言ったからだ。国内外を問わず、私は旅行に行ったら必ずスーパーや市場へ行く。食品を買うのが大好きなのだ。連れて行ってくれたスーパーはとても大きく売り場が広い。買いたいものがいっぱいあって、もっとゆっくり楽しみたかったが、ご迷惑になってはいけないのでほどほどで切り上げた。ジャスミン茶、調味料、お菓子、果物を買った。店を出て、先生がタクシーをひろってくれ、私ひとり乗り込み、ここで先生とお別れした。先生は本当によく面倒をみてくれた。私の滞在が快適であるように、気を遣ってくれているのがひしひしと感じられた。先生ありがとうございました。
 大連駅の前ラマダホテルでタクシーを降り、ホテル3階のみやげ物を扱う店に行って200元払って鍵を受け取り、小明が滞在するビルに向かう。部屋は15階にある。小明の隣の部屋に落ち着いてホッとする。誰とも会わなくていい、話さなくていい、ホテルのようでとても寛いだ。先生の親切はうれしいのだが、それはそれで私の方も気を遣ってしまって疲れるのだ。

 夕食は小明のいとこが、小明、小明の友人、小明の義理の妹、私の4人を高級海鮮レストランへ連れて行ってくれた。このいとこさん、40代の男性、海産物を扱う会社を経営しているらしい。すごいお金持ちで、ホテルのような豪邸に住んでて、何台も車持っていて、高級ブランド品を身に着けていると小明のはなし。なるほど乗せてくれた車は、さきほどの軽の車とは段違いのデラックスさである。この方のような大金持ちと、大部分の中国人の生活レベルの格差はかなり大きい。

 ここでも皆あまり食べなかったので料理がたくさん余った。でも容器を貰って全部持ち帰った。安心した。食べ残して残飯にするのは本当にもったいない。

 その夜は気分的にゆったり眠れた。

上左  シェパードの小屋
上中  宝宝と先生
上右  先生の両親

下左  ポーカー友達
下右  私 練習中

6月30日


 早くから目が覚めた。最後の散歩をしてこなくちゃ。大連駅の方へ歩いていった。コンビ二には必ずよる。グルッとひとまわりして、特に面白いものもなかったので、とりあえず水とガムとヨーグルトを買った。帰り道「油条」と「豆乳」を屋台で買った。中国人の朝食だ。油条は小麦粉を練って展ばして棒状にした物を油で揚げる。1元で20センチくらいのを4本くれる。小明はこれが好きといっていたから分けよう。

 8時半、昨日のいとこ、劉さんが迎えにきてくれて空港まで送ってくれた。小明はものすごい荷物である。当然重量オーバーだ。搭乗手続きの時、劉さんの友人の、税関に関係ある方とかが2人きてくれて、すっと通ってしまった。彼らは出国審査のところでも入れてしまった。中国ではよくある事なのだろうか。劉さんはエルメスの何十万もするカバンを買った。彼はこういったブランド品をいくつも持っているそうな。

 こうして私達は機上の人となり、一路日本へ・・・。小明は1ヶ月も大連に帰っていて里心がついてしまったのか、帰るのが憂鬱そう。私は早く帰って心身ともに休みたい気分。

 飛行機の中で機内食が出たとき、小明がお土産にもらったアヒルのゆで卵を食べようと言った。私は遠慮して一口だけ味見させてもらった。塩からい!彼女、とても美味しそうにほおばる。かずのこ、イクラが好物というし、ちょっと身体に悪いんじゃないの。「あなた高血圧になるよ、コレステロールも高くなるよ」とつい余計なことを言ってしまった。といいながらも5個貰って帰った。1個めはやっぱりこれはからくて食べられないと思った。2個目食べたとき黄身を食べたときの食感がザラッとして風味もあって美味しいなと思った。食べ慣れると美味しく感じられるのだろうか。中国にはいっぱい食べたことない食べ物がありそうだ。20個くらい貰ったけれど、小明は毎日3個食べたからすぐなくなったという。ええーッ、彼女、絶対高血圧だ。

 広島空港に無事定刻に着いた。飛行機から出たとたん、ムッとした湿気をたっぷり含んだ空気が身体をつつむ。これぞ日本の夏!出国するときも帰国の時も丸亀高校の修学旅行の団体と同じ飛行機だった。彼らの旅行先は北京である。税関では、出るとき撮られた写真と照合することもなく簡単に終わった。

 2時間2人でドライブして観音寺に帰り着く。スーパーで食料を仕入れなくては。安心したら急にお腹がすいてきた。大連ではずっとつっかえていたのに。お風呂に入って日本食をたっぷりたべよう。

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