記念すべき1ページ目に何を書いたらよいものか、思案しております。 あと1ヶ月で今年も終わり。お遍路さんへの年賀状は締めくくりの一大仕事、ポストにすべて投函した後おせち作りに専念できるのです。営業用の年賀でなく、読んでもらえる賀状をと、毎年文句を考えるのに四苦八苦しております。今年は開口一番 「ホームページだしましたよー」といえそうです。

何枚ぐらい買えばよいものか、数えてみると、やはり去年より若干少ないようです。 この頃、私が留守をして臨時休業することがあるので、そのせいかもしれません。「若松家別館に何度電話しても繋がらない」とおっしゃる方、申し訳ありません。山へ行ったり、最近始めた二胡のおけいこに行ったり、離れて暮らす娘達のところを訪問したり、と、この頃出掛けることが多くなりました。

池田町の岡田さんのところと違い観音寺には他に宿はたくさんあるので、お客様にご迷惑を掛けることもなかろうと、甘えております。是非若松家別館に泊まりたいとおっしゃってくださるお客様にはたいへん申し訳なく、私の予定を変更してでも、できれば泊まっていただきたいので、ご予定決まり次第予約してくださればうれしいです。うちにも後継者ができればいいのですが。池田町の民宿岡田のおとうさんのところでは、息子さんが近々戻られて後を継がれるとか。「引退したらすることがいっぱいある」とうれしそうに話しておられました。岡田さんは年中無休ですものね。本当にご苦労様でした。頭が下がります。岡田さんも今年はお遍路さん少ないようだとおっしゃっていました。ブームが下火になったのでしょうか。新聞でお遍路さんの記事をみることが少なくなった気がします。野宿の人が増えたこと、日帰り格安のお遍路ツアーが多いこと、つまり宿に泊まる人が少なくなったのですね。機会があれば、お寺にお遍路さんの状況を聞いてみよう。

 去年12月に、あるっく社の小宮さんという方が泊まられました。山と渓谷社から発行される「歩く地図四国88ヶ所」の取材をしておいででした。暇な時期で、お客様はおひとりだったので、夕食の時おしゃべりがはずみました。そして2月にその本が届きました。あの時私のところが載るとは何も聞いてなかったけど、もしかして・・・と思い、急いで香川のページを繰ってみると・・・ありました。感激しました。本の中では、お入りになった部屋が実際よりとてもきれいで広々と写っているので、初めてお出でのお客様ががっかりしはしないかと心配です。本屋さんではたくさんの遍路用ガイド本が並んでいます。果たしてこの本を選んでくれる人はどれほどいるだろうか、案じられましたが、この頃この本を携えて「ここに載ってるから来ました」というお客様が結構いるのです。買ってくださった方に、山渓の社員ではありませんが、「ありがとうございます」といいたいです。「北が上になってるから地図が見易い、本の内容も分かり易い」と使っている方はおっしゃってました。岡田さんのご紹介で小宮さんが来られて、私のところを載せてくださって、お遍路さんが泊まってくださって・・・。ご縁ですね。感謝です。

先代、姑が亡くなって13年、引き継いだ当初はひとりでどうやってやって行こうと不安でしたが、いろいろ失敗をかさねつつも、私流のやり方が定着したかなと思います。これからも、個性的に(自分勝手が少しはいるかもしれませんが)細々とやっていきますのでよろしくお願いします。
写真はうちの玄関です。


2005年 12月11日  石鎚での冬山トレーニング
 天気予報ではこの日あまりかんばしくないはずだったが、風なく、曇り時々雲が吹き飛んで青空がみえたりして、最高の登山日和だった。尾根で、吹き飛ばされそうな吹雪の思い出が2度あるので、(たったの2度だが)あんな目に遭うのはもういやだなあと思っていた。本当に山の天気は行ってみないとわからないものだ。翌日月曜から打って変わって大荒れの天気。神様は大いに私達に味方してくれた。
 6時過ぎに事務所を出てロープウェイの始発を待った。スキー場が未だオープンしていないので客は私達3人のみ。成就社で届けを出して登山道を緩やかに下って行った。凍りついた雪が足元で、ガリッガリッと小気味良い音をたてる。風もなく寒くもなく体調も良し、足取りは軽くどんどん下って行く。前夜のアルコールの匂いを漂わせるSさんが少し気に掛かるが、先頭の私のペースで歩く。美しい雪の景色に時折足を停めてカメラを取り出す。程よい休憩になる。そのうち低温の為シャッターがおりなくなり、カメラは懐で温めてやらないといけないことがわかった。

 足音は、ズズッ、ズズッ、に変わり柔らかい雪の道になった。何人もの登山者によって道はちゃんと作られていて楽に歩けた。前社が森で小休止、二の鎖の小屋でカップラーメンの昼食をとった。40年くらい前、中学生の頃、この小屋で泊まったのだ。立って歩けないほどの小さな小屋だった記憶がある。ご飯を炊く煙が下から部屋に充満してきて目が痛くなった。鳥居の前で数人で記念写真を撮っている。皆かわいい顔をした中学生だ。体育の白いトレパンとズック、ナップサックといういでたちだ。

 昼食をすませて、アイゼンをつけ、さあトレーニングだ。正規の道から外れてラッセルの練習をした。腰までの雪と急な斜面で、僅かに前進したかと思うとズルッとすべり落ちる。1歩進んで2歩落ちる。ラッセルの次は鎖横の岩を6,7メートル登攀する。Mさん、私、Sさんの順でロープに繋ぐ。Mさんがピッケルを使って登って行くのを見て、フムフムなるほどと、わかったような気になっていざ挑戦すると、あれ?ピッケルはどこに打ち込むのかな、アイゼンのついた足はどこにおいたらいいのかな、手袋をはめた指はホールドがわからないし、結局私は傍の鎖に?まって登ってしまった。練習の必要ありと思った。

 ロープウェイの最終便に遅れては大変、早々にきりあげて帰途についた。写真を撮ったりしてのんびり歩いていると、最後、成就社から走るはめになった。ぎりぎりセーフ、始発と最終便に乗って目いっぱい遊んだなあと、皆で満足の笑みをかわす。

 本日は高知の安芸市のタートルマラソンに行くはずだった。マラソンはもう1年以上もさぼっている。久しぶりに走るには丁度よい大会なのでエントリーした。誘惑に負けて急遽山に変更になったが、残り少ない人生、好きなことをして楽しくいきようっと。

 お天気のよい山行だと癖になりそうだ。某アウトドアショップのバーゲンで冬山用ギアを何点か購入した。今シーズンできるだけ山へ行こう。


雲辺寺ー萩原の登山道
 友人が、五郷から雲辺寺に最近登ったらしい。道の状態を尋ねたところ、崩れているそうな。でもなんとか行ける、それより尾根のブッシュの方が大変だった、という話。お遍路情報に正確な道の状態を載せたいので少し登ってみることにした。

 先ず車で林道に入り登山口の傍に停めた。はっきりした看板が立っている。10分くらい歩いたろうか3箇所続いて崩れている。が、問題なく歩ける。この日は左の谷から登ってくる登山道との合流点まで歩いて引き返した。山道はとても良いと思った。ちょっと酸っぱい野イチゴをつまんでビタミンC補給。杉木立も幽玄な感じである。今年の初参りはこの道で行こうと思う。



2006年 1月7日  雲辺寺へ初詣

明けましておめでとうございます。

 新年早々、大雪の被害が東北、北陸などで聞かれ、本当に気の毒に思います。この頃私の行動範囲が広がって、全国にj知人がいるものですから、どうしておいでなのか気に掛かります。雪下ろしの作業は勿論経験もなく、そのしんどさは想像もつかないのですが、朝から晩まで雪との格闘でしょうね。

 お遍路さんへの年賀状にホームページのアドレスを載せたところ、数人の方から感想をいただきました。とてもうれしく思いました。これからも無理せず、私の能力、個性に合ったホームページをつくっていきます。

 さて、初詣のレポートが遅れたのは、嫁いだ娘一家が4日間滞在したので私は大忙しでした。彼らは大阪に住んでいるので、6ヶ月の孫の顔をみるのは久しぶりでした。この間まで仰向けにねてアーンアーン泣くだけだったのに、もうハイハイしてはチョコンと座るのです。日々成長してるんだなあと感心したのですが、久しく逢わないと一気に大きくなったような感じがするだけですね。動物の赤ちゃんなんか生まれてすぐ立ち上がり、母親について歩かねばいけないのです。ヒトは1年もかかるのに。

 元日、予想外の好天気だった。大晦日に泊まってくださった若い女性のお遍路さんを見送り、8時に友人宅へ車をはしらせ、雲辺寺登山口に向かった。今年は五郷から登る。年末に半分くらい歩いて、道の具合を調べている。正月にここから登るのは15年ぶりぐらいだろうか。ほとんどは一番通行人の多い奥谷登山口から遍路道を登っている。ロープウェイ直下の林道コースもよく利用する。さあ車を降りて身支度しましょう、アレッ大事なカメラ持ってくるの忘れた!写真がないとホームページが仕上がらない。寛大な友人の許しを得、車をとばして家まで引き返し、40分のロス。

 友人のYさんとは以前ちょくちょく2人で山登りに出掛けた。彼女も昼間、時間の都合がつき易い仕事なのだ。最近は正月登山以外2人で山に登ることがなくなったので、話が弾む。いつも女性のグループは歩きながらのおしゃべりで賑やかだが、それもまたストレス解消でいいことだろう。いつのまにか頂上に到着、所要時間約2時間、まあ一般的だ。

 尾根に出る手前から雪が道を覆い始めたが、去年ほどの苦労はなかった。スパッツもカッパも必要なかった。年末の好天気で雪が少し融けていたのと、先客さんが道を固めてくれたからだ。去年は大晦日に降った雪が膝まで積もっていて、自宅から眺めた尾根がうっすら雪化粧しているのを知りながらスパッツも何も準備しなかった私達は、ズボンビショビショという辛いおもいをした。不甲斐無くも、下りは乗り物で簡単におりてしまったのだった。

 境内の焚き火にいつものようにアルミ箔につつんだお餅をのせ、年頭の祈願にいった。焚き火を囲む人々が例年より少ないように思えた。2,3人くらいは顔見知りに遇えるのに今年は誰にもあわない。私達の到着が遅かったせいかな。そうだ、3,4年前までは夜が明ける前に家を出て懐中電灯で照らしながらのぼったっけ。今は日の出を見ようなんて気持ちはさらさらない。

 20分毎にゴンドラから大勢の初詣客がおりてくる。彼らは焚き火に当たろうとはしない。お店もないからきっとお参りを済ませるとすぐ帰るのだろう。2000円も乗り物代かけて、もったいないなと思ってしまう。私なら近所の神社かお寺で済ませるなあ。焚き火を囲む人のほとんどは歩いて来ている。ここで餅を焼いたり、酒を飲んでわいわいやるのがお目当てなのだ。先ほどから、風上の特等席のベンチに陣取って賑やかに宴会をやっている5人のおじさん達がいる。幸せそうで楽しそうでこちらまで嬉しくなる。いい新年を祝っている。世間では景気は良くなりつつあるといっているが、なんだか実感できない。心が暗くなる出来事があまりに多い。日本人の気質が変わってきていると思う。が、私の周りには今のところささやかながら幸せがある。今年も来られたことに感謝して、私達も持参したビールで喉を潤し、香ばしく焼けた餅をほおばり、1時間過ごして帰途についた。

 毎年この行事をこなすとまた1年元気で山へ行ける気がする。どんな山へ行くことになるのか、わくわくする。


 
上の写真

スノーパーク雲辺寺は小さなスキー場ではあるが、元日はお休み、人っ子一人いないので広々としている。こんなまっさらの雪で滑ってみたい。


 
12時から護摩が焚かれた。やぐらに組まれた檜の枝から、モクモクと煙が天に昇っていった。


2006年 1月15日   ちょっと旅に出ます

 
シーズンオフだから暇なのは例年のこと。だが、それにしても年末からのこの静けさは前代未聞。実は毎年前代未聞と言っております。今年は特に開店休業の日が長く続いています。「景気は回復してますか?」と周りの人に聞いてみても誰もうんとは言いません。明るくしゃべっているのはテレビとラジオだけ。この田舎にまで好景気の波が辿り着くのはまだまだ先のようです。お客様が「また今度泊まりに来たときまでやっていてくださいよ」と励ましの言葉をかけてくれます。赤字経営でも持ちこたえられる限りは旅館続けますからね!

 あまりに暇なので、いっそうのこと店閉めて遊びにでも行くか。と、来月24日から27日まで台湾へ行くことにしました。関空夕方出発、帰りは台北早朝出発のまる2日間しか遊べない格安ツアーです。フリーの日が1日あるのでウロウロと街を見学してきます。勿論楽器店を探して寄ってくるつもりです。二胡は買えないけど京胡や板胡は持って帰ることができるだろうから、売っていたら買おうと思います。

 去年4泊5日で北京へ行ったときはとてもラッキーでした。二胡を国外へ持ち出せる許可証が滞在中にとれたのです。后海のあたりを散歩していて、二胡を置いてある楽器店を見つけたので入ってみました。店の人は買わそうとおもってさかんに薦めるが、二胡は日本に持って帰れないのだと説明すると、私を役所へ連れて行って「この人は日本人でO日に日本に帰らなくてはいけないから書類をはやく作って欲しい」と交渉してくれました。二胡にはニシキヘビの皮が使われており、2003年からワシントン条約で輸出入が禁止されているのです。空港で没収された人もいます。私は空港でこの書類を見せよといわれることもなくスムースに通過できました。ケースを見て「それは何ですか?」「二胡です」「いくらしましたか?」「600元です」で終わりました。お役人は金額だけしか問題にしていなかったのです。あまりのあっけなさに驚きました。たまたまそのときの役人が二胡について知らなかっただけですが。 食いしん坊の私は美味しいものを食べてこようと楽しみにしています。スーパー、デパ地下へ行くのが大好きです。帰りのスーツケースの中は食べ物だらけ。ないしょで果物も持って帰ります。とても安くて美味しいです。さいわい未だ見つかったことはありません。


 台北に詳しい方、おもしろ情報教えてください。


2006年 1月26日   高知 鉢が森ハイキング

 
もう1週間以上も前のことを書いています。

 上の写真、鉢が森は1月15日に行きました。年末の大雪以来、四国では暖かい日が続いております。四国山脈を南下するに従い、雪は消えて南国土佐の雰囲気です。仲間が下見に行った時は、大雪で、ラッセルの末、頂上も極められなかったという。本日の登山は、雪山の装備は必要ありませんでした。楽ではありましたが、雪景色が見られず残念!

 
高知自動車道を南国インターチェンジで下りて、東方面、土佐山田町、香北町、へ向かいます。香北町の中心部美良布まで車を走らせたら、左手におれて山にどんどん入っていきます。美良布にはアンパンマンミュージアムがあります。河に沿って奥へ奥へといきますと日ノ御子児童公園があります。このあたり川をおりるとフリークライミングの練習場があるらしい。国道195号線から左折して小一時間ぐらい走ったでしょうか、道路脇に岩屋大師の立て札がありました。これが登山口、30分歩くと大師堂につきました。きれいなお大師様の像が迎えてくれます。お堂は大きな岩に護られるように建てられています。この岩登ってみたらどうでしょうか?登れそうですね。このような山奥にもお大師様が祀られているのですね。四国のいたるところ弘法大師と平家の落人伝説があるようです。

 2時間ほどで頂上に着きました。途中「梶が森」がすぐそこに見えました。尾根筋ではちょっとブッシュもありました。ここの笹原、夏の登山にはたいへんかなと思いました。笹原では、雪の時期、ルートがわかりにくくなるので、僅かな立ち木に目印のテープを同行のOさんがつけて歩きました。きっとスムーズに頂上を目指せるでしょう。樹林帯では樹氷も少しついてました。帰りはきれいに融けてましたが。写真は頂上の祠です。見晴らしはよくありません。途中の尾根歩きで充分展望しましょう。

 帰りの道で私達3人、プラス2匹の下りとなりました。下り道で発信機をつけた猪狩の犬に出遭い、ついついビスケットをあたえたのです。後悔しました。彼らはもう離れません。仕事中?よその人に着いていったりしたらご主人様が心配するでしょうに。どこまでも着いてくるのでどうしたものかと思っていたら、停まって道を空けてやったら、さっさと下って行きました。なんだ、行き先がいっしょだったんだ。よかった。山だ迷子になったらどうしようと心配した。

 この山も植林された杉林の中をたくさん歩かねばならない。手入れがおいつかないのか密生している。ふとみると一回りも二周りも大きくて立派な木がたっている。この木は何百年も前からここに立っている自然の杉なんだ。どっしりとして貫禄があった。

 今週末、石鎚へ西ノ川から登ります。で、今週は毎日にわかトレーニングしてます。予定では日帰りですが、場合によってはビバーグです。かなりハードです。体力の限界に挑戦してみます。


2006年 1月28日、29日 石鎚へ西ノ川から東稜ルートで登る



写真 上左は岩原の休憩所、右は土小屋二の鎖の縦走路目指して尾根筋を突き上げる
2段目左はやぶこぎ終えて縦走路手前、右は縦走路を歩く
3段目左はだんだん迫ってくる南尖峰、あの向こうに石鎚が・・、
右は翌朝天狗岳の神様
4段目左は石鎚頂上、右は頂上から見る天狗岳


 1月29日、その夜は、はやばやと布団に潜り込んで、「ああ、極楽、極楽」、幸せをかみしめながら眠りについた。汗ばむほどの暖かさだ。夜中に1度かなりはっきり目が覚めたので、ビバーグの場所から何ピッチで南尖峰に着いたかななどと回想している内に又意識が遠のいて、結局10時間、2日分の睡眠を取り戻した。

 前夜28日は頂上直下の雪の中でビバーグだった。想定内のことではあったが、ツエルトに、雪の上にザックを敷いてシュラ不カバーだけ、カイロを4つ貼り付けたが全く効果を感じない。一晩中、体がガタガタ震えて眠れなかった。ホームレスのほうがまだましだろう。

 朝、そっと布団から起き出す時も、思ったほど肉体的苦痛はなかった。筋肉痛は軽かったが足の浮腫みが2,3日とれなかった。加えて、胃の調子も良くなかったのは、かなりストレスと疲労があったのだろう。私の胃袋はとてもストレスに敏感なのだ。やけ食いをしてストレス太りする人がいるそうだが、私には信じられない。どうして食べ物が喉を通ろうか。

 28日観音寺を早朝5時に出発、西ノ川登山口に7時に到着、7時20分登りはじめる。天気予報はこの週末バッチリ晴れ、薄着で登れる。雪の具合がよくて体力さえあれば日帰りできるかも、と思ったがちょっとあまかったかな。登り初めて小1時間くらい経ったろうか、どうも道が悪すぎる、おかしい。私がトップを歩いていて外してしまったのだ。間違いの白テープに着いて行ってしまったのだった。やぶこぎして元の登山道に戻ったが、こんな所で時間と体力をロスするなんて・・、落ち込んでしまった。その後も雪で隠された登山道を見失いそうになっては間違いテープに悩まされることが2度あった。赤、白、黄色、おまけにピンクのテープまである。頼りになったのはタヌキの足跡だった。雪の上にずっとのびたかわいい足跡に付いて行くと正規の道しるべがあったりして、このタヌキ、ちゃんと夏道を歩いて案内してくれているのかと驚いた。

 11時45分に天柱石分岐、ここから登山道を外して、土小屋二の鎖の縦走路に向かって尾根筋を登りつめなくてはいけない。冬の東稜はこのコースでと、アウトドアショップ、「クロスポイント」のガイド、松本氏のアドバイスだ。彼は私のクライミングのおっしょさんである。

 
斜面遥か上の方に目指すピークが見える。これはきついなとため息が出る。一歩一歩登って行くとやがて視界がひらけ、左に土小屋、右に夜明峠が見えた。紺碧の空と雪原と樹氷が最高にきれいだった。これからは少しは楽かなと思うと、元気が盛り返して来る気がした。前方に南尖峰を見ながら縦走路を歩いて行く。遠くに感じられたピークも少しずつ近づいてくる。

 
予定より1時間遅れだが、まだ日も高いので抜けられるかも知れないと、頑張って進むことにした。カッパをきこんでハーネスなど装備を身に着けて、気合を入れた。うまくいけば頂上の避難小屋か二の鎖小屋で泊まれるかもしれない。東稜分岐が15時だった。しばらくはやぶこぎの感じだったが、次第に傾斜が急になってきた。雪の表面の氷が剥がれてカラッカラッと不気味な音と共に谷底へ滑り落ちていく。いよいよロープの出番だ。4ピッチ目でどっと疲れがでて、気合も入らなくなり、「私、バテ気味です」ギブアップした。これ以上進むと事故を起こしかねないと思った。その場所はやや平らになっていて、ビバーグに丁度良かったかもしれない。矢筈まで6ピッチという地点だった。 

 時刻は夕暮れ、17時頃だったろうか。もとより覚悟はしてきてはいたが、今夜の寒さを思うと不安が募る。Mさんがスコップで寝床を整えてくれたり、ツエルトを張ってくれている。私はアイゼンをはずしたり、ありったけの衣服を着込んだり、自分のことでせいいっぱい。全く頼りにならない、お荷物パートナーで申し訳ない。どんどん日は落ちて薄暗くなり、夕食を軽くすませて一眠りすることにした。少しは眠ったのだろうか。2時間毎に寒くて目が覚めるだろうから火をつけて温まりましょう、という予定だっだが、夜更けからはそうもいかず、1時間しかもたなくなった。火をつけるとつかの間生き返るが、消すと急激に冷える。又、石のように固まる。シーンと静まりかえった空気に体が震えるガタガタという音がひびきそうだ。横になっているより膝を抱えて座っている方がまだましだ。雪との接触面がすくなくてすむ。

 こうして長い長い夜は明けた。睡眠時間はほとんどとれていないだろうけれど、じっと休ませてやるだけで疲労が少しは回復するのだろう。頂上まであと少し、がんばらなくちゃと装備を着けながら気合をいれる。夜明け前の石鎚に身を置くことなど2度とないかもしれないのに、準備に一生懸命でご来光を拝むの忘れた。カメラマンはわざわざこれを見る為に泊まりにくるのに。これからの行程、体が着いて行くかどうか心配で楽しむ余裕がなかった。

 初っ端から急斜面、左側はストンと落ちた谷、雪庇が少し張り出している。取り付く小さな木が、まばらでもあるからまだいい。「コンティニュアスで行きますか」とMさん、「え?それって一緒に落ちるんですよね?」と私、で昨日のようにスターカットで行くことにした。岩場では恐怖をおぼえた。アイゼンをつけて手袋をはめて岩を登るのには慣れていない。金属と岩が擦れるガリッという硬い音と足の感触は気持ちのいいものではない。手袋の手が心もとなく、脱いでみるものの、5分するとかじかんでしまう。仕方ないのでまた手袋はめて、足が決まらないまま、腕力できりぬけた。冬の岩場は私の課題だなと思った。

 南尖峰、天狗岳を過ぎ、弥山で小休止。ここからはたくさんんの人に遇った。二の鎖、夜明峠から昨日歩いてきた東稜がよく見えた。感慨深いものがある。成就社までで4,50人にであっただろうか。体力に自信がないから途中で引き返しますという人、頂上でひとりのんびりと食事する人、グループで賑やかに登る人、四国の最高峰石鎚はやはり人気の山だ。弱い人も強い人も楽しませてくれる。

 満ち足りた気分で回想できるのも、何事もなく無事帰ってこられたからで、ラッキーだったと思う。上天気で、雪は締まっていてアイゼンがよくきいた。一番の感謝はリーダーのMさんがチャンスをくださったことだ。経験浅い私などよく連れてきてくれた。随分負担をかけてしまったと思う。おかげでめったとできない経験をさせていただき、自信も少しはできた。冬山にはまりそうだ。 
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