2006年 8月 4日  
 
 来週早々にアルプスへ行く。去年と同じ「さわやか信州号」で白馬方面の予定だ。ちょっとトレーニングでもしてお茶をにごしておくか。時間があまりとれない時はいつも雲辺寺へ行く。11時に奥谷の登山口に車を停めて登りはじめた。ニイニイゼミの声がいっそう暑苦しい。この間まで澄んだ声で谷に響き渡らせていた、トウキョウトッキョキョキャキョクのホトトギスの声は、セミにかき消されている。もうだいぶ遅い時刻だからお遍路さんには遇えないかもしれないなとおもいながらゆっくり歩く。薄暗い木立でウバユリが数本、ボーっと幽霊のように咲いている。そばに寄って見た事がなかったが、顔を近付けるとさすがユリ、いい香りがする。頼りない花びらの中を覗くと、黒い花粉がとびちっている。種の存続の為に頑張っている。ちょっとかわいそうなネーミング。

 登りの途中、ハイカーのような若い男性1名に遇った。来週の登山の無事を祈願して、境内でお昼をした。歩きのお遍路さんを3人見かけた。この暑いさなか、本当にご苦労様。先日、4時ごろと言ってもまだ日は高くジリジリと暑い時刻に、大粒の汗を滴らせながら年配の男性が一人入ってこられた。私の方では予約を受けていないのだが、お客様は「今日1時頃、若松家別館に予約した」とおっしゃる。ご自分の携帯のメモをみて確認すると、電話は若松家本館の番号、名前は若松家別館、と入力している。「お客様は本館に予約なさっています。お疲れでしょうが、あと2,3分歩いてください」一刻も早く宿に入って寛ぎたかっただろうに、気の毒だが仕方ない。よくあるケースだ。本館と別館、紛らわしくて申し訳ない。


 
日付が前後しますが、かれこれ2ヶ月近く前の山行の日記をアップします。
 行き先は徳島の天狗塚と牛の背です。

 6月11日、3年ぶりで谷道から天狗塚へ登った。登山道に取り付くまでが想定外にたいへんだった。3年前初夏、車を停めて川沿いの林道を10分歩いたところに天狗塚登山口の標識があった。その年の夏すごい台風がやってきて、ここもたいへんな被害を被っている。標識は流されたようだ。

 今回その看板を探して1時間も林道を歩いた。当然渡渉点は通り越していたわけだ。天狗塚へはこの川を渡らなければいけない。水嵩はおおくなかったので適当なところで渡った。渡ったところからまた引き返した。やっと赤テープが見つかり、登山道にはいった。ややこしいところはあったが、頂上まで問題なくいけた。

 牛の背では大勢ハイカーをみかけた。みんな一般コースできている。標識がなくなっている今、初めての人は谷道からは難しいかもしれない。牛のお尻の方まで気持ちよく歩いていくと、亀尻峠に下るグループがいた。私達は反対方向の尾根を下りる。一応地図を見ながら道を探して、オコヤトコというところに下りるつもりだった。Mさんが「趣味山」さんという方のホームページから、参考にさせてもらおうと、おもしろい地図をプリントしてきている。この方はこの山域のいたるところ歩かれている。本当の意味で山を楽しんでいるなあと思う。

 今日はやぶコギだなと予感したが、同行のMさんYさんはうちの会当初からのベテランだから全く不安はない。時間も早いし、暗くなるまでにはどこかにおりられるだろう。道らしきものを見つけて辿っていくとなくなってしまう、という繰り返しでとうとうやぶこぎだ。鹿のフンがたくさんあった。尾根には鹿道が縦横にできている。自分達の位置がはっきりしないまま、結局、谷道に向かう一本の尾根に沿って下った。「おいおい、遭難したぞー」と冗談。さあ、どこに出るかたのしみだ。石楠花の中のやぶこぎを除いて、歩きやすかった。本来なら石楠花の花を楽しむところだが、こうなると枝のねばっこい弾力がうっとうしい。ようやく川におりると、そこはもとの登山道、崩れた橋がある場所だった。朝、渡るべき地点だっだ。3年前渡った記憶がある。今は壊れていて使えない。流れの少ないところを見つけて渡り、無事車まで到着。オコヤトコから2つずれてた尾根を歩いたことになったけれど、車に近くてよかったねと笑った。読図力を反省して苦笑する2人だった。

 普通の登山道を歩くのは安全、安心だけど、地図とコンパスでやぶコギする山歩きもおもしろいなあと思った。ヤブの種類にもよるけど。人が通らないところには、おもしろい拾得物もある。鹿の角をひろった。宝にしている。



  
左  マムシ草
  中  牛の背までもうすこし
  右  樹林帯をぬけて笹原で小休止


  笹原を行く
 
 
  尾根にある池
     ウマスギゴケでは
     なかったんだ

  やぶこぎ途中で見付けた
  熊のつめあと

 
 
 
   下りてからみつけた
   渡渉点の橋
      台風で流された
左  尾根での拾得物
    ものさしは50センチ
    もう1本探せばよかった
     くやしい
右  川沿いで鹿一頭分の白骨を
    見付けた 
    頭蓋骨の骨を動かすと
    とれたので持ち帰る


2006年 8月6日、7日、8日  唐松岳から白馬三山、バテました〜

 食べ物が喉を通らないほどバテたのは30年ぶりだ。脱水症状を起こしていたようだ。夜行明けの運動量としては負荷が大きすぎたのと、水が足りなかったせいと思う。

 いつも水分はあまりとるほうでないので、今回もその調子で500を1本しか持って行かなかった。自殺行為、と笑われそうだ。案の定、天狗の尾根では死ぬ思いをした。遠くで雷はなるし、急ごうにも疲れきった足はカメ以上の速度はでないし、喉はカラカラ。翌日には元気を取り戻して無事下山できたからこのように反省の日記を書いていられるものの、事故でも起こしていようものなら、もう山へは行けない。

 8月6日の夜行バス、さわやか信州号の席がひとつ空いていたので、即、予約をした。去年もこのバスを利用して、針ノ木、蓮華岳、七倉へ登った。船窪小屋を通過したとき、機会あったらここに泊まってみたいと思った。七倉の尾根を下る途中で船窪小屋のご夫婦が登ってこられるのに出会って、少し言葉を交わした。ますます泊まりたいと思った。

 このバスで行ける、小屋2泊の魅力ある山をいろいろ考えてみた。栂池から稜線に出て栂海新道、日本海に抜ける、何年も前から考えては諦めた。今回も地図を眺めては、日数が足りないとため息をつく。白馬、唐松、五竜、鹿島槍、針ノ木など後ろ立山も4度行ったが、繋がっていない。キレット2箇所が未経験だ。不帰の嶮(かえらずのけん)を歩くことにした。清水尾根から祖母谷温泉、富山へ出たい。この下りも毎年頭に浮かぶコースだ。祖母谷温泉に是非とも入ってみたかった。が、残念ながらこのコースは実現できなかった。

 7日、6時20分、八方バスターミナルでバスを降りて、小じゃれたお店のある通りを、ゴンドラ乗り場まで歩く。7時の始発を待って、30人ほどの中高年登山者がたむろしている。私の前に並んでいたテン泊の青年と、ゴンドラ、リフトと乗り継ぎながらずっとおしゃべりを楽しんだ。唐松小屋から私は北、彼は南へ向かうそうだ。東京に住んでいる気象予報士さん、雲を眺めながら写真を撮っているんだろう。「山の天気」というホームページをもっていると言ってたので帰って検索してみたがよくわからない。もしこれを見てくれていたなら、メールで再度お知らせください。

 リフトでらくらく高度を稼げるとあって、人が多い。最後のリフトを降りて「山の天気さん」とお別れした。水は500ミリリットルのまま登りはじめた。途中、雪渓があるから雪解け水が汲めるはずだ。ところが薄汚れた雪はあったが水はない。この雪の下を流れているのか。雪渓を少し下っていったが水はない。ま、いいか、水場はあるだろう。と、こういういい加減な人間だから後でえらい目にあったんだ。

 立ち止まって、唐松から伸びている尾根を見やる。ギザギザの急峻な山並みの次はながーい斜面、その先にピークがある。不帰の嶮、天狗の大くだり、天狗の頭である。今日の歩きの締めくくりである天狗の大くだり、ゾッとするほど急で長い。気合を入れてがんばらなくっちゃ。

        山の天気 さん                                遠くに見えるのが不帰の嶮と天狗の大くだり

   最適のきゅうけい所
   雪渓が涼しい
                  黒百合1輪        

         唐松岳頂上山荘


 11時に唐松山荘に着いた。腹ごしらえをして、これからが正念場。しばらくは快適な尾根歩きが続いた。男性2人が小さな広場でのんびりランチタイムをしていた。「ここから危ないよ」と声がかかる。いよいよ岩場か、緊張緊張。

 鎖に掴って降りかかると、さっそく登りの人に出会って、避けてまつ。行く手の道の具合、恐怖感の度合いなど聞いてみるが、怖いかどうかなんて個人の主観だ。きいたところでさほど意味はないのだが、「大丈夫よ、いけるよ」と励ましの言葉がほしいだけなんだ。岩場は梯子や鎖があるから問題ないのだが、土がズルズルした急な斜面を下るのはかなり怖かった。足を滑らしでもしたらはるか谷底まで落ちてしまう。ここにも鎖が欲しいなというところが2箇所くらいあった。すれ違った人は、岩場が終わるまでに10人、大くだりの途中で15人くらい。私の後ろは誰もいない。天狗山荘での泊まり客は、キレットを下ってきたのが私をふくめて数人、白馬から来て明日キレットを登ろうという人が20人くらい、逆コースはきついから
少ない。14人のほとんどが中高年の女性というグループ、あまり山慣れてない様子、岩場を抜けるのに時間かかるだろうなあと思った。ガイド本に渋滞に気をつけろと書いてある。
   いよいよキレットにさしかかる
                 アングルの橋       
  トラバースする
  
鎖があるからそう危険でもない



    のぼって来る人を岩場で待つ
     

 大きな岩場を終えてひとまず緊張を緩める。次は大くだりならぬ、大のぼりだ。何も考えず、下を向いて、ひたすらカメのように登り続ければいつか終わるはずだ。ピークに到着したかと思えばまた小ピーク、すぐ向こうにあるはずの小屋は行けども行けども現れない。縦走路だから実際はそれほどきついコースではないが、疲れきってへとへとの私には行く手の遠いこと。水はもう少しで底をつく。食欲が進まないのと先を急ぐのとで、おにぎりを朝1個、昼1個しか食べていない。無茶な歩きをしてしまった。

 縦走路の下方に何箇所か雪渓があった。おりやすいところで雪を食べるしかない。表面の汚れたところをこさげとって中の方を食べた。ちょっと荒めのフラッペといったところかな。これで少しは元気が出た。遠くで雷がゴロゴロ鳴り出す。いくら鳴ったって、これ以上速く歩けはしない。私の上まで来そうだったら、ザックをほっぽりだして小屋にかけこもう。もうすぐそこにちがいないから。あーあ、それにしても人っ子ひとりいない。おーい、誰か助けてくれーぃ。

 なんだか山の色が違ってきた。溶岩が冷えてできたような黒っぽい岩でおおわれている。天狗さんが出てきそうだ。小さなピークをまわりこんだ時、不意に小屋が現れた。この小屋ときたら、縦走路では全く姿を見せないくせに、突然目の前に現れるんだから・・・。とにかく、嬉しい。もう歩かなくていいんだ。すぐ傍に雪渓があって、そこから伸びているホースから水がジャバジャバ流れている。水場めがけて一目散といいたいところだが、足はそう軽やかではない。急ぐことはない、ゆっくりと冷たい雪解け水を身体の中にいれてやる。細胞膜を透して水が滲みこんでいく。いつもなら、小屋に着いたらまずビールだが、今日はやめといた方がよかろう。水をたらふく飲んで満足したけれど、ここは電解質を摂ったほうが回復がはやいだろう。500円のビールより高い、450円もするポカリを買って飲んだ。着いて10分ぐらいしてザーッと夕立がきた。先ほどの尾根歩きの時降ってきたなら、口でも開けて上向いていたかもしれない。雨はすぐあがって夕焼けのきれいな景色になった。小屋到着が16時10分で8時間行動した。ちょっと初日にしてはきつかった。

    赤茶けた山肌
    天狗山荘は近い
  
     天狗山荘      
  水場
                      鑓が岳

 通された部屋は(部屋というより区切りか)、10人ははいれそうだけど今日は私だけ、個室だ。上の棚は誰もいない。隣の区切りの上の棚は空き、下の棚に夫婦が1組、といった風でとても空いている。この日、宿泊客は28人とかいってたっけ。空いているのは本当にありがたい。ことに体調の悪いときは。

 部屋でまどろんでいると、夕食を知らせる声が聞こえた。お腹は全然空いていない。食欲が出るまで待ってみようと横になると、呼びにきてくれた。食べに行かなくては迷惑がかかる。ごはんを前にして、食欲が全くでてこないのには悲しくなった。私のテーブルには単独登山の男性4人がおいしそうに食べている。ただ座っているだけ、というわけにもいかず、ごはんと汁を一口啜ってみたけれど、胃袋が拒否している。気持ちわるくてもどしそうだ。「食欲ないんですね」とまわりの人が覗き込む。「今日はバテました」と力なく笑う。何年前だったかなあ、薬師沢の小屋でごはんを3杯食べてお櫃がカラになったことをおもいだして、また悲しくなる。年をとったんだねぇ。最近は食べる量がグッと減った。

 つらい夕食の時間が終わって部屋に帰る。清水尾根については、白馬手前の村営宿舎で聞くように言われた。力尽きて避難小屋に泊まることも考えているので、小屋の様子を聞いてみたいし、沢を渡るところが3箇所くらいあるようだから簡単に渡れるのか確かめたい。とはいえ、一番の鍵は体力が回復するかどうかだ。明日の朝元気になっていることを祈って早めに就寝。

 翌8月8日、当然のことながら、まだ暗いうちから向こうの方の部屋でゴソゴソ起きだしている。トイレの前にも人が並んでいる。私もグズグズしてはいられない。体調は・・・、たぶん回復したと思う。水もたくさん汲んだ。4時40分に小屋をでた。関東からの団体さんにはガイドが2人ついている。ほとんどが中高年の女性である。先頭を歩くガイドはもうハーネスを装着している。不帰の嶮、無事通過できますように。彼らと反対方向、鑓が岳に向かう夫婦の後に付いて歩く。
  夜明け
  天狗山荘をあとにして
               手前は杓子岳
              奥は白馬岳

 鑓が岳、杓子岳を過ぎた頃には、白馬方面から登山者が続々とやって来る。8時に村営頂上宿舎に着いた。ここで清水尾根について聞かねば。受付の奥から支配人のような人が出て来て、やめとけとばかりに注意をうけた。まず、「長い下りだから8時からでは遅すぎる。みんな6時には出るよ。」次に、「台風が来てるから尾根で吹かれたら大変だよ。」そして「今日おりるなら雪渓が一番早い。アイゼンは要るよ。3件事故があった。」台風で足止めくったらやっかいだ、やって来る前に帰ろう。清水尾根、祖母谷温泉は諦めた。なんだか脅かされたような感じもする。余分な出費でもったいないなあと思いながら、しぶしぶアイゼンも買った。雪渓を下るとなると気持ちも時間も余裕だ。急にお腹もすいてきて、ゆっくりお粥の朝食をとった。

 宿舎を後にして少し下ると登りの人に遇った。あとからあとから登ってくる。あれ?台風なのにどうしてのぼるの?小屋で停滞することになったらどうするんだろう。結局台風は来なかった。用心に用心を重ねたのは私だけか。このぶんだと今日中に家まで帰れそうだ。認知症の母のことも気になるし。今年も1泊2日、慌ただしい登山だった。

 雪渓はアイゼンをつけるのが面倒だったので、せっかく買ったがザックにいれたまま下りてきた。なくても大丈夫ということだ。若い男性が、スキーをするかのように軽やかに、ストックをうまく使いながら、早いスピードで追い抜いていった。勿論アイゼンなどつけていない。私は踵に力をこめてドスドスと歩く。彼はきっとスキーがうまいに違いない。

 雪渓をくだるのも結構ながい。登るのはもっとながい。でも、涼しいし水は豊富だから、一番人気のコースかもしれない。登山道全体雪解け水で、浅い沢のようになっている箇所もある。時間は充分ある。おのぼりさんを待ちながら、ゆっくり余裕でおりてきた。白馬駅まで行ったらば、風呂はいってキリッと冷えたビール飲んで川魚食べて、蕎麦もいいな、なんてワクワク、ウキウキしながら歩く。
  白馬岳
  手前 白馬山荘
             雪渓を行く登山者
    白馬 大雪渓      

 白馬尻の小屋に着いてバスの時刻をしらべると、12時50分が丁度良い。できるだけ食料は山で消費したいと、最後の昼食をとってもまだまだ重い。いつも食料を持ち過ぎるんだ。かつて飯豊連峰を縦走したときは予定より1日延ばしたので、通りすがりの人が食料をめぐんでくれた。その方は下りる人で、余ったからくれたのだけど。

 バス停まで50分、普通に歩いて充分間に合う筈だ。暑くてながい林道を、行けども行けどもバス停に着かない。発車の時刻が迫ってくる。やっと広い駐車場、その先に車道があった。さてバスはどっちかな、下るべきか、上るべきか。バス停が上りにあったとしても、下っていれば拾ってもらえる。緩やかに下る車道を急ぎ足で歩く。バスの時間はとっくに過ぎた。バス停は上にあったんだ。となるとバスが通りかかったら絶対とめなくっちゃ。この道全然車が通らない。これに乗れなかったら延々歩かなければいけない。上から車の音がする。バスだ。道の中程に出て手を振る。停まって車掌さんが降りてきた。「ここは停留場じゃないんですよ。本当は乗せれないけれど今日は特別サービスします。遅れてるから早く乗って。」とおこられた。私は言い訳する間もなく、「すいません」とあやまって急いで乗り込んだ。そんな言い方しなくてもと思った。もっとも私がルール違反だけど。

 白馬駅に着いてもう安心。電車の時刻をしらべてもらって切符も買った。観光案内で風呂の場所を聞く。なんとこの炎天下10分も歩くのだそうだ。みみずくの湯、そこが一番近いという。山から下りてきた人が大勢いるはずなのに、駅前に風呂やぐらいつくってほしい。とにかく汗だけは流して電車に乗りたい。白馬発の特急の発車まで1時間しかない。ビールと魚は泡のごとく消えてしまった。

 電車に乗ればひたすら眠る。携帯で転送の設定をすればさっそく電話がかかってきた。予約あり。ありがたいことです。今まで遊ばせていただいた分、一生懸命働きます。

 ひとり暮らしの母の近所の方からも電話あり。いつもの被害妄想でご迷惑かけている様子。家に帰ったら、即、見にいこう。22時半には行けるだろう。今夜は泊まりだ。1日早く帰ってきてよかった。あっという間に現実に引き戻された。


     ウルップソウ                          お花畑                 チシマギキョウ?イワギキョウ?
 
    最近は花の写真を撮らなくなった
    20数年前から山野草に興味を感じて、頂上を踏むより図鑑に載っている花を探すほうが目的のような山歩きをしたものだ
    まだブームの始まりの頃、ないしょの話、トリカブトやら、イワタバコなど
    その辺の山で採って来て庭に移植したことも何度かあった
    かわいそうにそんな花々をすべて枯らして、自分が草花を育てるのにむかない人間とじゅうじゅうわかり
    以後そのような罪深いことはしていない
    アルプスに行ったとき、高山植物を見つけては、ああ、これは図鑑に出でた何々という花だ、と同定するのがたのしかった
    ところが、どうだろう、この頃は花を撮るのが面倒なのだ
    写真を撮ったり眺めたりで、結構休憩を取れていたんだろうが、最近の登り方は、のろのろではあるが、ひたすら歩いている
    白い花はとんでしまうし、要するに、満足のいく写真がとれないからどうでもよくなった
    雄大な景色のほうがいいな

 9月1日  夏が終わる

 きのうおとといと、ずっと雨か曇りである。それまでは毎日真夏日だったのに、一変、静かで涼しい。蝉に取って代わって秋の虫の声が夏の終わりを告げる。

 昨日は、まとまった雨で土がやわらかくなっているし涼しかったので、絶好の草むしり日だった。雑草も、真夏は初夏ほどの勢いはなく、悪戦苦闘することなくきれいになった。私が大事にしているのは、ほんの少しのバジル畑だけ。母が毎日水遣りしてくれたおかげで、元気がいい。これから秋が深まるまで葉っぱがどんどんとれるだろうから、バジルソースをつくって皆にあげよう。ほかにも何か育てたいと思うけれど、野菜つくるのたいへんだろうなあ。かつて母が青梗菜のタネをまいて柔らかい葉が出た頃、待ってましたとばかり、全部虫が食べた。今、スモモもさくらんぼも毛虫にまるはだかにされている。葉を食べつくした虫たちが地上を這い回っている。小鳥さん餌がいっぱいあるよ、たべにきておくれ。


 郵便局に用事で出掛けたら、お四国さんの記念切手第3集が売り出されていたので、20シート買った。巡拝の記念にと、お求めになるお遍路さんがいるからだ。1集目が発売されたとき、欲しいお遍路さんがたくさんいて何箇所か郵便局を走り回って買い集めた。ある方は、お土産にするとおっしゃって、7シート持って帰られた。嵩張らない、実用的である、これはお土産に最適だなあ。もう在庫がないというほどに買ったが、手元には1シートしか残っていない。2集目が出たとき、しょっちゅう買いに行かなくていいように、本局に50シート注文した。局員さんが、台紙や説明書、袋、ちゃんと揃えて持ってきてくれた。けれどもなぜかあまり欲しがる人がいなくて、まだたくさん残っている。もっぱら、お客様や友人への手紙には、これを張って出している。

  切手、要る方は
  声をおかけください


 8月23日は地蔵盆であった。「オッゾサン」とか「お地蔵さん」と呼ばれる。関西のお祭りらしい。

 私の住む三架橋町でも、その日は朝早くから各家1名出てきて、掃除をし、夜まで2,3人ずつ交替でお堂に座って、お参りに来てくれた人にお供えをあげる

 近年、このような伝統行事をみなおそうという動きがあるようだ。お地蔵さんは子供を護ってくれる仏様、にこやかにほほえんでおられる。市の広報でも周知されて、暑い日中を避けて、夜、家族でお地蔵さん巡りをする人や、子ども会で団体でお参りしたりで、小さな町が少し賑わう。夜ははだか電球が灯され、そこだけいつになく明るい。決してイルミネーションなどではない。それがまたほのぼのとしていい。地域全体で大事な子供達を見守っていきたい。このような催しはどこにでもあるだろう。地域の文化とか日本の心とかいうものを後の人につたえていくことは義務でもあろう。

 子供のころ、悪いことをしたら地獄に落ちる、嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる、とか、地獄の恐ろしい様子を聞かされてきた。血の池、針の山、人を茹でる釜、鬼達の話である。怖いくせに、母が語るその話を真剣に一生懸命聞いていた。すると、怖くて夜トイレにいけない。昔、どこの家でも、トイレは座敷のむこう、家の端の一番暗くて遠いところにあった。トイレに付いて来てもらうのだった。確か、お地蔵さんのこんな話があったっけ。幼くして命を落とした子供達が賽の河原で石を積んであそんでいる。そこへ鬼が子供達を捕まえにくる。子供達は怖がって一斉に逃げる。そしてお地蔵さんの懐に隠れる。心ならずも我が子を亡くした親は、子供があの世でしあわせに暮らせるようにお地蔵様に祈る。最近の子供にそんな話をしたら馬鹿にされるのかな。そういえば、私も子供達に地獄の話などしたことがない。前ばかり見て走るのもいいけれど、立ち止まって後ろを振り返ると先人達の知恵が溢れているではないか。

 あわただしい高度成長期がおわって、ちょっとゆっくりゆったり歩きましょうかという感じかな。景気の低迷が続いてやっと普通に戻ったんじゃないかと思う。便利で豊かな生活はありがたいけれど、代償も大きい。質素で無駄のないシンプルな暮らしを望んではいるが、未明、山で食べる弁当をコンビ二で買う自分がいる。

    私の家から50メートル北、道路沿いにお堂はある。           
    テントでは男性陣がビールを飲みながら、
    町内会のことをはなしたり、雑談したり
    たいせつなコミュニケーションの場である。
    私も、普段は道で挨拶程度しか交わさない方と
    番をしながらおしゃべりする。
    手間もかかるが大事な行事だと思う。


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